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第 25 回 Vera Jenkins 先生インタビュー


人生はたった一回、楽しまなきゃね!

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Vera Jenkins 先生インタビュー

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a…. people were boring, you know, they didn\'t have, the, the, shall we say, the ( ) and the ( ) of, um…, human culture, you know, because, because they, in a tropical city like that you don\'t have it, you know, you\'re not, um…a… ( ) or your environment is not ( ), um… that, um… you lack that kind of, ummm, living ( ).

上の文章を完成させて解答を support@manabi.stまで送ってください。正解者先着 3 名さまに Vera 先生の無料レッスン 1 回をプレゼント! (締め切りは 3 月 31 日です。)

Vera「Konbanwa!」
大塚「Hey! どうしている?」
Vera「今ね、日向ぼっこしています。」
大塚「一人で?」
Vera「そう。一人で。。。」
大塚「寂しくない?」
Vera「ねー。Masa、おいでよ!」
大塚「OK。24 時間以内にそっちに行きます (笑)。それはそうと再婚おめでとうございます! 結婚式はいつ?」
Vera「3 月 25 日です。」
大塚「わー、もうすぐですね! 何人出席するの?」
Vera「ゼロです (笑)。」
大塚Stella (Vera 先生の娘で MANABI.st の先生でもある) とかは?」
Vera「ずっと ニュージャージー で家族を呼んで式を挙げる準備をしていたのですが彼が急に フロリダ に転勤になりましてね。そこで急遽 2 人だけで フロリダ の Key West で挙げることにしました。」
大塚「ビーチで二人で。。。何だかいいですね!」
Vera「そう、ロマンチックでしょ (笑)?」
大塚「ところで彼とはどうやって知り合ったの?」
Vera「驚かないでよ! なんと Match.com という出会い系のサイトです (笑)!!」
大塚「WOW! それはびっくりです。ニューヨーク に住んでいた時?」
Vera「そう!」
大塚「でも実際に会うときは不安じゃなかった? 変な人も混じったりしているんでしょ?」
Vera「それはそうね。ただ何度も Chat やメールでやり取りできるので十分分かり合った上で会うのでそれほど心配ないのよ!」
大塚「そう言われればそうですね! 彼は何をやっているの?」
Vera「医療関係の IT コンサルタントよ。去年彼の仕事の都合で、1 年間アイルランドに一緒に行っていたの。」
Vera Jenkins 先生
大塚「それは羨ましい! そういえば Stella から聞いたような気がします。それにしても以前 Stella のインタビューで Vera の話も沢山出てきて今日は聞きたいことが山ほどあるのですよ。」
Vera「何でも聞いて!」
大塚「OK! 質問攻めにしますよ (笑)。Vera は東京で生まれたんだよね?」
Vera「そう!」
大塚「まずは両親がどうやって東京にたどり着いたのかを教えてください。」
Vera「OK! 私の父はハンガリーで写真家をしていたのですが、1936 年のパリ万博においてハンガリーを代表して母国の紹介写真を出展することになり、その前年に母と共にパリに渡ったんですよ。ちょうど万博が終わりハンガリーに帰ろうとしていた頃かな。ナチス・ドイツがフランスに侵攻するということですでにナチスの支配下にいたハンガリーとフランスが国交を断絶しましてね。帰れなくなっちゃったんだ。」
大塚「ドイツがハンガリーに侵攻したのはいつ?」
Vera「確か 1930 年頃だったと思います。」
大塚「それで?」
Vera「父が万博に出展した作品を当時フランスの日本大使秘書だった井上氏とその友人で文化輸入商の川添氏が高く評価していましてね。ビザの期限が迫っていて困り果てていた父に『日本の国際文化交流会から招待状を出させるから東京に来ない?』と誘ってもらったのが来日したいきさつです。」
大塚「そうでしたか。それで日本では写真の展示会をやったんですよね。」
Vera「そう。ただ 1942 年頃かな。第 2 次世界大戦が勃発して日本にいる中立国の外国人は全て軽井沢に強制的に連れて行かれてね。」
大塚「そうしたら Vera は軽井沢で生まれたの?」
Vera「いえ、私はその直前に東京で生まれました。母のおなかの中に私がいたため、生まれるまで長距離移動は無理ということで軽井沢行きを猶予してもらったようです。」
大塚「東京のどの病院で生まれたの?」
Vera聖母病院 です。」
大塚「おっ! その病院、まだありますよ!」
Vera「そうですか。それはうれしい (笑)。」
大塚「軽井沢はどうでした?」
Vera「今は素晴らしい所みたいですけどね。。。当時は何にもないところでした。」
大塚「戦後までずっといたの?」
Vera「そう。1945 年に戦争が終わり、父は Yank Magazine という米国軍部向け雑誌のカメラマンとして雇われました。」
大塚「どういう雑誌?」
Vera「アメリカ向けの雑誌でして主に日本の現状をレポートするもので、軍の上層部に従軍し、日本全国をまわり、写真を撮っていたみたいです。」
大塚「マッカーサーとかも会ったりしたとか?」
Vera「直接話したことはなかったようですが写真は撮ったことはあったみたいですよ。」
大塚「すごい!」
Vera「いまでも覚えているのが 8 歳の時、皇居で雅楽の演奏会があって、あれは確か高松宮の庭園だったかな、父と演奏会にいったんですよ。神秘的な音色を今でもよく覚えています。」
大塚「すごい経験だね。普通の日本人では絶対に見れないものですね。ところで東京ではとちらに住んでいたの?」
Vera「父と仲良くしていた軍隊の高官に鎌倉の材木座にある豪邸を譲り受けましてね。大きな日本庭園と離れ付の大豪邸でした (笑)。」
大塚「え〜? Vera はお嬢様だった?」
Vera「そうよ! 女中さんが 3 人いたんですよ。」
大塚「ちょっと待って。失礼な質問かもしれないけど米軍のカメラマンってそんなに給料よかったの?」
Vera「いい質問ね (笑)。考えたこともなかった。でもあれほど豪華な暮らしをしたことはなかったですね。買い物も電話一本。お迎えの車もあったしね。」
大塚「それだったら Vera はかなり Spoiled された?」
Vera「まあね (笑)。」
大塚「そうだ。お母さんの話をまだ聞いていなかった。聞くところによると銀座でかなり繁盛したハンガリー料理店を経営していたようだね。」
Vera「そう! 私、あのお店に行くのが大好きだった。Irene\'s Hungaria という名前の料理店でちょうど今の銀座プランタンの地下 1 階にあったのですが大繁盛していました。有名人もいっぱい来ましたしね。」
大塚「例えば?」
Vera「棟方志功、三島由紀夫 (左写真)、菅原謙次 (右写真:右)、若尾文子 (右写真:左中)、中村歌右衛門、山口淑子等。母は特に三島由紀夫と親しく例の事件が起きた時、当時はハワイに移り住んでいたのですが『とてもそのようなことをするような人ではなかったんだけど。。。』といっていたのを今でも覚えています。私自身も彼と何度も会っていますが同感でした。」
Vera Jenkins 先生Vera Jenkins 先生
大塚「それはすごいですね! 何だか夢のような生活だったんだね!」
Vera「本当にそうでした。とにかく私の母はすごかったですね。TBS テレビで料理番組も持っていたんですよ!」
Vera Jenkins 先生
大塚「すごーい! 有名人だったんだ。。。」
Vera「そう、有名人 (笑)!」
大塚Stella に聞いたところによると Vera は湘南白百合小学校に通ったとか?」
Vera「そう。幼稚園の時、International School に通っていたのですがどうも好きになれなくてね (笑)。何故か『日本の学校に通いたい!』とわがまま言っていたみたいで。。。困り果てた両親はそこら中の学校に当たって校長に頼み、湘南白百合小学校に特別に入れてもらいました。」
大塚「そうでしたか。唯一の外国人だったと思いますがいじめられなかった?」
Vera「まあ、陰でいろいろ言う生徒はいたみたいですけどカトリックの学校だったのでほとんど問題なかったですよ。そうそう。その時、同級生だったのがその後総理大臣となった細川護熙氏の妻になった佳代子さんだったのよ (笑)。」
大塚「Vera の人脈はすごいね!」
Vera「そう (笑)! 両親のお陰ね。」
大塚「羨ましいですね! でも湘南白百合は卒業しなかったですよね? どうして?」
Vera「ちょうど卒業直前に校長に呼ばれて、日本の小学校を卒業したという履歴を残すのは外国人にとって良くないのではないかと親切に言ってくれてね。まあ、勉強面でもついていけない部分もあったしね (笑)。そこで高校 2 年まで当時中目黒にあった American School of Japan に編入しました。」
大塚「そうでしたか。高校 2 年の時に何があったの?」
Vera「ここから私の人生が劇的に変わっていくんですね。1959 年にソ連がハンガリーに侵攻し、ハンガリーが共産国となった為、共産主義者として日本に残るか、ハンガリーに強制送還されるか二者択一の選択に迫られましてね。。。」
大塚「なんだか歴史を感じますね。。。それで?」
Vera「父は両方とも嫌だったらしく、途方にくれましてね。そうしたらハワイで美しい景色を収める写真集を出版するプロジェクトにカメラマンとして誘われましてね。ハワイ (アメリカ) に移民することになりました。」
大塚ハワイ はどうでした?」
Vera「Boring (笑)! すごい熱帯雨林でしょ。地下鉄はないし、美味しいレストランもない。住んでいる人もつまんないし、あまりいい思い出がありません。」
大塚「銀座のハンガリー料理店はどうしたの?」Vera Jenkins 先生
Vera Jenkins 先生
Vera「それがひどい話でね。お店はそのまま残し、母は半年毎に日本に様子を見に行く予定だったんだけど、パートナーとして任せた日本人と韓国人のハーフの人が銀行口座から何まで全て持ち逃げしてね。」
大塚「それは本当にひどいね。お母さんはその後どうしたの?」
Veraハワイ でまたハンガリー料理店をはじめましたが、熱帯雨林にハンガリー料理は合わなくてね。結局これも失敗に終わりました。。。」
大塚「わー。本当に災難だったね。。。」
Vera「まあ、大昔のことだけどね (笑)!」
大塚ハワイ で大学を卒業しましたね。その後はどうしたの?」
Vera「とにかく ハワイ を出たくてね。看護士になろうと San Francisco の州立大学にいくことにしました。」
大塚「また大学に入りなおしたんだ。でもどうしてまた看護士に?」
Vera「うーん。。。いい質問ね。」
大塚「だってお母さんは Hospitality Business にずっといたんでしょ。」
Vera「まあね。うーん。。。なんていったらいいのか。。。仲の良い友人が 2 人いてね。その二人とも看護士になるといっていたので『それじゃー、私も!』と思ったのかな?」
大塚「なるほど! 18 歳の時だから That makes perfect sense です (笑)! それで?」
VeraSan Fransisco である人と出会いましてね。その人と結婚したんですよ。そして長女の Sheila を出産しました。」
大塚「それは知らなかった。Stella にはお姉さんがいたんだね。」
Vera「そう! Sheila は Stella より 8 歳年上で今年で 40 歳になります。」
大塚「そうだったんだ。それで?」
Vera「Sheila が生まれると同時に離婚しましてね。」
大塚「あたー。。。」
Vera「それで父が ハワイ に戻ってこいということになって ハワイ に戻ったんですよ。」
大塚「そうだったんですか。それで?」
Vera「やっぱり私には ハワイ は合わなかった様です (笑)。ハワイ ではあまり面白い仕事がなかったからね。その頃から『また日本に戻りたい!』という気持ちが強くなってきてね。公務員試験を受け、通訳兼高官秘書という仕事に就くため来日しました。」
大塚Sheila は連れて行ったの?」
Vera「もちろん! 給与も良く、葉山に住んで、赤のオープンカーを運転したりして、公私共々エンジョイしました!!」
大塚「羨ましい!」
Vera「そこで海軍に勤める後の Stella のお父さんと出会いましてね。結婚することになりました。」
大塚「そうだったんですか。でも Stellaカリフォルニア で生まれましたよね? どうして アメリカ に戻ったの?」
Vera「海軍の日本任期は 2 年でね。その後 アメリカ で 2 年間の任期があったので アメリカ に戻らなければならなかったんですよ。次の赴任先が サンディエゴ でした。」
大塚「そして Stella が生まれる。」
Vera「そう! Stella が生まれた直後、旦那はベトナムに行かされそうになってね。これはまずいということになり、私の全人脈を使い、これを阻止したんだ!」
大塚「すごーい! Vera、やるね!」
Vera「まあね! そうこうしているうちに アメリカ での任期の 2 年が終わって、旦那の実家の フェニックス (アリゾナ) に引っ越すことになりましてね。。。」
大塚フェニックス? わー、それは暑い!!」
Vera「そう (笑)。ひどい所でね。気温 45 度以上且つ乾燥した空気。もう最悪でね。とにかくここを出たいと思い、1973 年に家族 4 人で ハワイ に引っ越しました。。。」
大塚「45 度ではしょうがないね (笑)。それで?」
Veraハワイに戻りましたが夫婦関係がギクシャクしてしまい、結局 1978 年に別れることになりました。」
大塚「人生波乱万丈だね。そうしたら別れた旦那は一人で アリゾナ に戻ったんだ。。。」
Vera「いえいえ (笑)。ここが不思議なことに旦那は義理の娘の Sheila とウマが合ってね。結局 Sheila は旦那の養女になり、Stella だけ連れて帰りました。」
大塚「え〜、すごい! そんなことってあるんだ。」
Vera「うん (笑)。」
大塚ハワイ ではどんな職業に就いていたの?」
Vera「1973 年から Duty Free Shop に勤めてどんどん出世しましてね。8 年は勤めたかな? 最後には日本の旅行代理店を一手に引き受ける所まで出世したんですよ。」
大塚「すごい!」
Vera「ただまた Japan was calling me! でね (笑)。出世すればするほど日本にまた行きたいという気持ちが強くなってきて、何とかして日本にいけないか考えるようになりました。」
大塚「それ、いつの話?」
Vera「1982 年ごろかな?」
大塚「それで?」
Vera「ちょうどその時、Duty Free Shop の日本支社で部長待遇の募集広告を見つけてね。『これだ!』と思い、荷物を全てまとめて Stella を連れてに行ったんですよ。」
大塚「え〜。ちょっと待って。それって面接でしょ?ま だ決まったわけではなかったんでしょ?」
Vera「うん。同じ Duty Free Shop 内だったし、採用される自信があったからね (笑)。」
大塚「それで?」
Vera「私以外に 2 人男性が応募していたんだ。実際私にほぼ決まりかけていたんだけど役員会で女性に部長は勤まる訳がないということになりまして。。。」
大塚「わー、ひどい! それでどうしたの?」
Vera「どうしたもないよ。急に無職になっちゃったんだよ。ホテル代は高いし、あの時は本当にどうしたらいいか途方にくれました (笑)。。。」
大塚「本当に災難だったね。それで?」
Veraハワイ の友人から Tom Nevins という人を紹介されましてね。彼は TMT コンサルティングという労務関係のコンサルティング会社を経営していたのですが、その彼が本を出版するということになり一時的に手伝うことにしました。彼には労働 Visa などを世話してもらい、またその次の就職先も紹介してくれ、今でも本当に感謝しています。彼、今は日本でコンサルタントして有名みたいですよ (笑)!」
大塚「そうでしたか。Tom Nevins ですね。今度チェックしてみますね。その後の就職先は?」
Vera「Franklin Mint というダイレクトマーケティングの会社で、当時の森英恵や柿右衛門等を売り出す手伝いをしていた会社でそこの社長 (アメリカ 人) の秘書として日本人社員との橋渡しをしていました。」
大塚「すごーい! 実質社長じゃない?」
Vera「まあね (笑)。」
大塚「そしたら日本人役員など、Vera にゴマすったりしていた?」
Vera「それはもう! この仕事、ものすごく楽しかったよ。年に 1,000 万円位もらえたし、5 時には帰れたし、言うことなかったです (笑)。」
大塚「うらやましい! どこに住んでいたの?」
Vera「東京の上野毛!」
大塚「高級住宅街じゃない?」
Vera「そう! そこまでは良かったんですが。。。」
大塚「えっ、どうしたの?」
Vera「会社が潰れてしまいました。。。」
大塚「あちゃー。。。人生うまくいかないね。。。」
Vera「うん。あの時はショックだったなー。。。」
大塚「それでどうしたの?」
Vera「イギリス系の SG Warberg という証券会社に勤めることにしました。」
大塚「それにしても Vera は多才だね。マーケティング会社の次は証券会社なんて不器用な私にはとても真似が出来ません。。。」
Vera「これ、不思議なんですよ。何とかなっちゃうものでね (笑)。」
大塚Stella の話だとそろそろ ニューヨーク に引っ越す頃だと思うのだが。。。」
Vera「そう! よく覚えているね!」
大塚「何を隠そう、直前に大急ぎで Stella とのインタビュー記事を読んだので (笑)。。。」
Vera「なるほどね! ちょうど ニューヨーク に出張する予定があってね。Masa、ニューヨーク にいったことがある?」
大塚「一度だけあります。」
Vera「あの大きな橋を渡って New York City (NYC) に入る瞬間ってたまらないじゃない?」
大塚「うん、何となく分かる気がします。」
Vera「それも JFK 空港にリムジンのお迎え付よ! もうひと目で NYC に惚れてしまってね。帰国後上司に NYC で働くことにしたから辞めるといって渡米しました。」
大塚「本当にフットワークが軽いね (笑)!」
Vera「そう! 人生、やっぱり楽しまなきゃね (笑)!」
大塚「恐れ入りました (笑)。それで仕事は見つかったの?」
Vera「うん。ホテルなどをいくつか所有する不動産会社の Japanese Department で働くことになりました。」
大塚「ここでも日本語が出来るのが功を奏したんですね。」
Vera「そう! そこに 6 年間勤めましたが。。。」
大塚「え〜、まさか。。。」
Vera「そう! 倒産してしまいました。。。」
大塚「わー。本当に波乱万丈ですね。」
Vera「うん (笑)。」
大塚「それでどうしたの?」
Vera「Unilever という会社知ってる?」
大塚「もちろん! 日本ではアイスクリームくらいしか目にしないが、世界中に展開する食品の超優良企業じゃない!」
Vera「そう! そこの北米戦略部門の責任者の右腕として働いていたのよ。」
大塚「すごい! 具体的にはどういう仕事?」
Vera「Unilever は子会社を沢山所有しているのですがその内 30 社の管理から会議の手配など何でもやりましたよ。」
大塚「すごいね。どれ位いたの?」
Vera「ちょうど今の彼とアイルランドにいくまでだから6年間くらいかな。」
大塚「すごいね。世界のビジネスの中心の ニューヨーク で 12 年も働いていたんだ。」
Vera「そう!」
大塚「それは素晴らしいですね! 3 月 25 日にご結婚するそうですが、今後は何をしようと思っているの?」
Vera「高級 Tours という日本人旅行者を対象にいたれりつくせりの旅行を企画・運営する会社をはじめてね。それをこれから本格的に展開していこうと思っています。」
大塚「すごーい! Vera には悠々自適という言葉はないんだね (笑)。」
Vera「そう!人生一回、楽しまなければね!」
大塚「いいですね、それ。企画が決まったら MANABI.st のサイトで宣伝させていただくので遠慮せずに言ってね!」
Vera「OK! ありがとう!!」
大塚「わー、もう 2 時間も話してしまいました。。。やっぱり今まで Interview してきた先生と話の厚みが違います!!」
Vera「ありがとう!」
大塚「最後に Vera の MANABI.st のレッスンについて教えてください。」
Vera「私の目標は皆様に自信を持って英語を話せるようにすることです。それには間違っても恥ずかしくない雰囲気作りから入ります。間違いを恐れなくなればもう話せたも同然よ!」
大塚「先生として素晴らしい心がけですね! 長い間、ありがとうございました!」

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