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第 31 回 ナタリー オヌスカ 先生インタビュー


夢は小説家!

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ナタリー オヌスカ 先生インタビュー

インタビュー音声公開&クイズ

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Well, I think, um, so ( ) the newspaper, I had to do a lot of interviews with people, and then we also went to these conferences. So sometimes, and too, we would have to go to ( ) a ( ) ( ) or to a ( ), and, so you're in these ( ) ( ) where you need to, um, do all this kind of negotiating with people, and introducing yourself, and you have to say the right thing at the right time and be quiet at the right time, and you know, so I think that this, um kind of, public, um, ( ), you know, it was a good introduction.and I always felt comfortable in front of many people.

上の文章を完成させて解答を support@manabi.stまで送ってください。正解者先着 3 名さまに Judy 先生の無料レッスン 1 回をプレゼント! (締め切りは 10 月 31 日です。)

ナタリー「Masa、ご無沙汰しています!」
大塚「こちらこそ! 大学院の勉強忙しい (ナタリー は現在大学院に通っています)?」
ナタリー「はい。週末もみっちりと勉強させられています (笑)。」
大塚「そっか。私も アメリカ に留学していた時は 1 日 12 時間以上勉強していた気がします。大学時代は授業すら出ていなかったのにね (笑)。後何年で卒業なの?」
ナタリー「1 年半かな。来年 4 月からは修士論文に取り掛からなければいけませんのでさらに忙しくなりそうです。」
大塚「大学院卒業後は学校の先生になるの?」
ナタリー「いえいえ。今通っているプログラムは Teaching License を取るものではなく、詩人や小説家になる為のプログラムです。」
大塚「え〜。そうなんだ。確か他の先生から カナダ では大学卒業だけでは教壇に立つことが出来ず、それ以外に大学院に通わなければいけないと聞いたことがあったので、てっきりそれかと思っていました。」
ナタリー「正確にはちょっと違います。大学で私も教員免許を取りましたが、この免許は公立学校では通用しないんですよ。私立では問題ないんですけどね。公立で教えるにはさらに 8 ヶ月の Teacher's College に通う必要があります。私の場合はいろいろあって学校の先生としてではなく、別の道に進むことにしましたけどね。」
大塚「どんな夢?」
ナタリー「小説家!」
大塚「Interesting! 昔から小説家になりたかったの?」
ナタリー「いえいえ (笑)。小学校一年生の時はサーカス団でアクロバットをやりたかった (笑)。小学校 5 年生の時はお医者さん、大学生の時はジャーナリストといろいろと変わりました (笑)。」
大塚「サーカス団に入りたかったとはかわいいね (笑)。どうして 5 年生の時、お医者さんに変わったの?」
ナタリー「ちょうど従兄弟と遊んでいたら彼が歯を折ってしまってね。そこで『私に任せろ!』といって彼の歯を引っこ抜いたんですよ。それがきれいに抜けて何だか気分が良くてね (笑)。子供の頃よく遊んでいる間、木のささくれが皮膚に挟まる時ってあるじゃない? それを抜くのも好きだった。誰も私にやらせてくれなかったけどね (笑)。」
大塚「何だか変わった子だったんだね (笑)。血とか怖くなかったの?」
ナタリー「全然 (笑)! 薬の成分とかも興味があって、小さい頃は簡単な医学書を読み漁っていた記憶があります。」
大塚「なるほど。だから ナタリー は MANABI.st で メディカルのコース も提供しているんですね。」
ナタリー「そう! 専門家ではありませんが、今でも薬を買うとき、成分を含む注意書きは全て読みます (笑)。」
大塚「でも大学時代にはジャーナリストになりたかった。」
ナタリー「一番の転機となったのが 6 年生の頃、3 ヶ月間家族全員で海外旅行にいったことかな。ハワイ・オーストラリア・ニュージーランド・フィジーとまわった、大旅行でもありました。」
ナタリー オヌスカ 先生
大塚「3 ヶ月? よく両親はそんな長期間仕事を休めたね。」
ナタリー「まあね! 母は学校の先生をやっていましたが 5 年に一度長期休暇が取れる制度がこちらにあるのでそれを利用しました。父はフリーの写真家であったので旅行中もバシバシ写真を取っていましたよ (笑)。この旅行のお陰で私達兄弟は 1 ヶ月遅れで新学期を迎えることになり、ちょっとラッキーでした (笑)。」
大塚「え〜? そんなことって許されるの?? 羨ましいな!」
ナタリー「母が先生だったから許されたんでしょうね (笑)。その代わり毎日宿題はやらされましたよ!」
大塚「なるほど! でもそれがどうジャーナリストと結びつくの?」
ナタリー「私自身 トロント という カナダ でも一番の都心部に住んでいましたが今回の旅行は大自然をまわったもので何でも揃っている都市部の生活と他国の田舎町を回るという全く異質のものに触れる。奇妙な感じがしてね。今まで トロント が世界の中心だったのに、ここまで違う世界があるのかと。。。『世界は広い!』って心の底から思いました。将来は旅をしながら世界各地の人々に触れ、名所にいける仕事をしたいと帰ってきてから強く意識するようになったんだ。」
大塚「それでジャーナリストに。。。」
ナタリー「そう! とにかく世界中を飛びまわることの出来る仕事に就きたかった。だから大学時代、大学新聞の記者をやっていて裁判や劇場に取材に出かけたり朝から晩まで記事を書きまくっていました (笑)。」
大塚「でもジャーナリストにはならなかったね。」
ナタリー「ジャーナリストは期日が厳しくてね。休みたくてもやすめない。しまいにはあまりにも仕事のし過ぎで腱鞘炎になってしまってね (笑)。もう嫌だと思ってしまったんだ (笑)。」
大塚「それで?」
ナタリー「それ以外に世界中を旅しながら出来る仕事とは何かと考えたら英語を教えることしか思いつかなかった。」
大塚「でもそう簡単に教えるという仕事は出来ないでしょう?」
ナタリー「どちらにしても書く仕事というのは English を勉強するじゃない? それに私自身人と接するのが非常に好きだったのと人前で発表するのが得意だった。だから英語の先生になるというのは結構自然の流れだと思います。母が高校の教師だったしね!」
大塚「なるほど。晴れて大学を卒業し、まずはじめにチェコに行きましたよね。どうしてチェコだったんですか?」
ナタリー「父方の祖父はスロバキアからの移民なんですよ。親戚もまだ沢山いる。だからまずスロバキアから出発しようと思ったんですが、スロバキアは当時大不況でね。隣国のチェコだったら仕事があるということだったので Progue で 6 ヶ月間だけ働くことにしました。」
大塚「なるほど。ナタリー は 2000 年に ALT (Assistant Language Teacher) として日本で働くことにしましたよね。ただ今までの話を聞いていると日本の話は全く出てきませんでしたが。。。」
ナタリー「日本との係わり合いは古いですよ! 9 歳の時学校の朗読の時間で千羽鶴の禎子の話を先生が朗読してね。もう皆涙・涙。ちょうど当時私は陸上部で走ることが好きだったということがあってね。ものすごい感情移入しました。当時クラス全員で千羽鶴を折ってね。それを校庭に Rainbow の形にして展示してそれを "Peace Garden" と皆で名付けました。その頃かな。いつかは絶対に広島に行ってみたいと思うようになったのは。。。」
大塚「いい話だね。よく禎子の話は世界中で読まれていると聞きましたが実際に聞いたのは今回が初めてです。」
ナタリー「本当に悲しい話です。2000 年に実際に広島の平和記念公園に行った時に、修学旅行かなんかで小学生の団体がツアーしていたんですが、その引率の先生がある古い木の下に座り、『この木は原爆を生き抜いた数少ない木で。。。』という話から最後に『ここを見てください。新しい枝が出ている。これは希望 (Hope) の象徴です』と話していたのをみて感動しました。」
大塚「いい話ですね。でも 9 歳の時に初めて日本を意識していたとしても実際に行くのはその約 20 年後ですよね。」
ナタリー「私の大学時代の親友で神戸に住んだ人がいてね。彼女が日本の写真を沢山見せてくれてね。『日本はいいよ! 絶対に日本に行くべきだよ!』と、いい話ばかり聞かされていたんですよ。そこで大学時代、友人を訪ねに日本へ旅行に行きました。」
大塚「どこへ行ったの?」
ナタリー「奈良に行ったのが非常に印象的でした。」
大塚「奈良といえばあの悪名高い (Nasty) な鹿が沢山いるところだね (笑)!」
ナタリー「私には Nice Deer でしたよ (笑)。」
大塚「そうでしたか。」
ナタリー「それに トロント には日本食料理屋が多くてね。日本食は私の大好物でした。」
大塚「でも一番好きな日本食はもちでしょ (笑)。」
ナタリー「もち大好き! 特に仙台のずんだもちは最高です!」
大塚「そっか。それで JET に応募したわけですね。」
ナタリー「そう! ただ。。。」
大塚「ただ?」
ナタリー「神戸大震災があったでしょ。友人はそれを期にこちらに戻ってきたんだ。命からがらで倒壊するアパートから逃げ出したという話を聞きましてね。ちょうどその頃こちらで有名な日系人の David Suzuki という自然学者がやっているテレビ番組で地震の特集を見ましてね。地震恐怖症に陥ってしまって大分躊躇しました。」
大塚「希望勤務地はどこにしたの?」
ナタリー「日本地図を広げて一番地震が少なさそうな Hokkaido と書きました (笑)。都市部だけは嫌だった。」
大塚「でも配属されたのは仙台でしたね。」ナタリー オヌスカ 先生
ナタリー「そう! もう怖くて怖くて。。。」
大塚「そういえば仙台で大きな地震が 2003 年にありましたよね。あの時仙台にいましたか?」
ナタリー「いたいた! 本当にどうしようかと思った。でも 3 年目だったし、小さな地震をいっぱい経験していたのでそれほどパニックしませんでした。何しろ仙台に赴任してすぐに他の先生に『地震が怖い怖い』といっていたら『何をいっているんだ。この地域はちょうどプレート同士が交わる場所だからジタバタしてもしょうがない』と言われましてね。どうすることも出来ないので恐怖を Let go しました (笑)。日本には地震よりもっと強敵がいましたし。。。」
大塚「強敵って?」
ナタリー「台風! 台風警報が鳴る度に Freak out していました (笑)。あまりにもすごいと学校が休みになったりしましたしね。『一人にしないでよ!』といつも叫んでいました (笑)。」
大塚「日本ではどこの学校を担当したの?」
ナタリー「愛宕中学校。」
大塚「日本での生活はどうでした?」
ナタリー「最高! 温泉は大好きだし、スキー・スノーボード等もをよくやりました。空手を習ったり、お祭りにいったりキャンプにいったりいい思い出ばかりです。仙台よりちょっと北の方で大きな七夕祭りがあり、毎年楽しみでした。それとその頃かな。書くことに興味を持ち始めてね。松尾芭蕉の詩や小説を書いたりと少しずつですが観光をしながら感じたことを書き始めました。」
大塚「ALT 期間最長の 3 年間もいましたよね。そのまま日本で移住しようと思わなかったの?」
ナタリー「思いましたね。日本にいればいるほどより日本人になっていく自分を感じました。ただちょうど 3 年目の終わりの頃に祖母が胃がんにかかりましてね。また両親も寂しがった。『どうしても日本に戻ってきたければまた戻ってくればいい。今は親孝行など今しか出来ないことをやろう!』と思い、帰国しました。」
大塚「いい話ですね。それで カナダ に帰国するわけですね。」
ナタリー「そう!」
大塚「帰国後は小説家になろうと決心したわけだね。」
ナタリー「いえいえ (笑)。せっかく先生としてのキャリアを積んできて、教えることの楽しさも分かりました。小説家なんてやっていてもそう簡単に食べていけない。帰国後すぐに Teacher's College に出願し、実際に多くの学校から合格をもらいました。」
大塚「でも今は小説家を目指しているんでしょ?」
ナタリー「そう! ちょうど Teacher's College に通うことを決めた時だったかな。今通っている University of New Brunswick の English Masters Program について聞きましてね。実際に見に行ったら現役の詩人や小説家が先生として教えてくれるユニークなプログラムでね。相当悩んだけど Teacher's College ではなくこちらを選んだんですよ。」
ナタリー オヌスカ 先生
大塚「え〜? でもさっき小説家は食べていけないと言っていたのでは。。。」
ナタリー「まあね (笑)。でも私自身まだ結婚もしていないし、子供もいない。Teachers College は 8 ヶ月のプログラムなのでいつでも取りに行くことが出来るじゃない? でも小説家になる夢は将来を考えると今しかチャンスがないと思えてね。」
大塚「なるほど。思い切った決断をしましたね!」
ナタリー「そう!」
大塚「どういう小説を書きたいの?」
ナタリー「フィクションの歴史小説なんか書きたいですね。それも世界各地に取材にいったりして。。。」
大塚「私歴史小説大好きです! あれを書くのは相当取材をしなければ書けないですよね。でも歴史小説は大体ノンフィクションなのでは?」
ナタリー「ここが小説のいいところなのよ! 歴史を好きに変えられるじゃない?」
大塚「な〜るほど (笑)。是非読んでみたいものです! 頑張って下さいね!」
ナタリー「もちろん!」
大塚「話は変わりますが MANABI.st で教えていて特に気をつけている事を教えてください。」
ナタリー「OK。まずは信頼関係を築くことですね。やはり信頼関係を築くと生徒の皆様も話しやすくなるでしょ。間違いを犯すのも恐れなくなる。それにはユーモアが大事だと思っていますのでユーモアたっぷりに話すように心がけています。」
大塚「素晴らしいですね。」
ナタリー「あと皆様の英語を学ぶ為のゴールは結構バラバラです。それをいかに聞き出すかも注意してレッスンを行うようにしています。最後はフィードバック。これがあるのは非常に我々教える側もありがたく、丁寧に書くように心がけています。」
大塚「最後にこれを読んでいる皆様にメッセージをお願いします。」
ナタリー「OK! よく No Pain, No Gain といいますが私はこの考えはあまり好きではありません。やはり何でも楽しまなければいけません。私も出来る限り楽しいレッスンを行うように心がけますが皆様もどうしたらもっと英会話を楽しんで勉強することが出来るか、人それぞれ方法は違いますので是非自分オリジナルな方法を見つけて欲しいと思います! 私でよろしければいつでもお手伝いさせていただきますよ!」
大塚「長い間ありがとうございました!」
ナタリー オヌスカ 先生

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