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第 8 回 スティーブ・モリヤマ さん


日本が日本を褒めたなら

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スティーブ・モリヤマさんインタビュー

スティーブ・モリヤマさんについて


"欧州の首都" ブリュッセル在住 (実際はモスクワなど 5 割程出張)。ベルギー王国カトリック・ルーベン大学院 MBA 修了。米国ハーバードビジネススクール TGMP 修了。イングランド・ウェールズ勅許会計士協会上席会員 (FCA)、ベルギー王国公認税理士協会正会員 (CTC)。ロンドン事務所、ブリュッセル事務所勤務を経て、現在、世界最大の綜合プロフェッショナル・サービス会社プライスウォーターハウス・クーパース中東欧ホールディングスの日本企業部門地域統括パートナーとして、CEE 及び CIS28 か国を統括。趣味は「異文化ウォッチング」。これまで 70 か国、延べ 300 回訪れ、様々な文化や人々を観察してきた。『拡大欧州の投資・税務ガイド』(中央経済社) は、訳書を含めると 10 冊目の著書。また、日経ビジネスオンラインにて『知られざる欧州の素顔』を好評連載中。本人のウェブサイト

長く海外に住んでいると、日本にいたとき以上に、日本が見えることがある。時には、まるで航空写真のように、地上からは決して見ることのできなかった景色が見えることがある。母国の物理的喪失と引き換えに到達しうる一種の境地なのだろうか。
むろん、それが正しいのかはわからない。だが、昨今の日本を取り巻く状況を俯瞰していると、以前にも増して悲観論が蔓延し、極端なモノの見方をする人が増えている気がする。筆者は、この問題を tunnel vision という言葉で説明することが多い。長くうす暗いトンネルの中で前ばかり見ていると、段々と周囲のことは頭から離れていき、トンネルの出口の光を追い求めて、ますます前ばかり見るようになる。
今回は、こうした視点から、"日本の良さ" をテーマに、先ず「トンネル」の横にある「現象」を俯瞰し、その裏に潜む本質的な「問題」を探ってみたい。

筆者がロンドンで働き始めたころ、日本ではまだバブルの饗宴を楽しんでいた。そんななか、「強国日本」という看板を信じて疑わず、私は肩肘を張って渡英した。まさか、次のような馬鹿げた質問の嵐に遭遇するとは夢にも思わずに。。。
(1)「日本の駅では、乗客を押し込むための特別な人が雇われているんですよね」
イギリスでも朝の通勤ラッシュはある。しかし日本とは比べものにならないほど穏やかだ。伝統的な価値観をもつイギリス人は自分の体を混雑の中に押し込むような真似はしない。黙って次の電車を待つ。おそらくこの質問には「野蛮な行為」「不可解な東洋の国」というニュアンスが込められていたのであろう。「乗客が多すぎるから、単に駅員がやっているだけだ。特別な人間が雇われているわけではない」と私が答えると、「何だそうなのか」と白けた表情になる。いったいどんな回答を期待していたのだろうか。
(2)「日本人って何であんなに自虐的なの? ゴキブリなんて食べるんですもの」
当時、確か「ザ・我慢」というタイトルの日本の番組が翻訳されてイギリス等で再放送されていた。日本の学生たちが我慢比べを競うものだったが、そのなかでゴキブリを食べる競争があったのかもしれない。いずれにしても「日本人は我慢の本質を履き違えた、奇妙なマゾヒスティックな集団」と誤解されていたのだろう。私は「単にあれは昔の大げさなテレビ番組だ」と一蹴した。
(3)「あなたは、毎朝奥さんに靴下をはかせてもらっているの?」
日本の首相の名前も知らないのに、なぜかみな「男尊女卑の日本」と決めつけている人が少なくなかった。「父や祖父の時代にはそういう男たちもいたが、現在は違う。英国と同じようにヘンペックト・ハズバンド (女房の尻に敷かれた夫) が多い」と答えると、男たちは「やれやれお前の国もそうか」といった表情で苦笑するが、女性たちはあまり信じていない様子だった。あとから聞いた話だが、私が入社する前「日本人男性とは働きたくない」という女性社員からの苦情が人事部にいくつか寄せられていたらしい。
もちろんこういう質問は、ふだんはしてこない。日本同様、島国イギリスでは直球の質問はタブーなのだ。だが、一滴酒が入ればそんな不文律は簡単に忘れ去られてしまう。
# 日本が見えない
私がいた会社は、日本では知名度が低かったが、イギリスでは誰でも知っていた。新卒で入社したばかりの世間知らずの若者たちとはいえ、前項の質問をしたのは例外なく一流大学を出た人間だった。当時大学に行く人の絶対数が少なかったイギリスにおける学士の意味は、日本とは比べ物にならないくらい高かったのである。日本でも遠い昔「学士さま」といわれた時代があったが、そんな中で、オックスブリッジなどの名門校出身者のプライドは、我々日本人には計り知れないものがあったのだろう。
そういう人間たちから、わが国に関する「非常識な」質問を繰り返され、最初は侮辱された気持ちになったものだ。しかし、その苛立ちはしばらくすると消えていった。自分が考えていたほど、つまり平均的な日本人が考えているほど「日本は日本の外では知られていない」という事実に気づいたからだ (そして 20 年たった今も状況はあまり変わっていない)。
当時アメリカ人もいたのだが、みな「イギリスは何て国際的なんだ」と感激していた。理由を聞くと、「新聞で国際関連の記事が多いから」という。そんなことは、日本では当たり前だ。だが、アメリカ の地方紙は地元や国内情報がほとんどで、世界のことはあまり書かれていないという。「アメリカ人が全員ニューヨーカーだと思うと誤解するよ」とその中の一人は付け加えたものだ。大統領選を見ているとよくわかるが、アメリカ を動かしているのは、我々に馴染みがある東海岸や西海岸に住むリベラルなアメリカ人ではない。その中間の内陸部に住む、本当のところ自分の州以外を良く知らない人たちなのである。
ただ、イギリスが国際的だとしたら、なぜ誰も日本を知らないのか。しかも、最初は「世間知らずなコドモ」と私が見下していたイギリス人たちは、一緒に仕事をしてみると、総じて私などよりはるかに優秀だった。大学を卒業するのも大変なようで、すでに専門知識をかなり身につけてきていたし、決してものの考え方が偏っているわけでもない。
# 常識の非常識
結局、「日本を知っているべきだ」と勝手に思い込んでいた私の常識が非常識だったのである。常識の非常識。その罠に落ちていたのだ。と同時に、日本について見えていなかった部分も見えるようになった。たとえば世界標準と比べて日本で著しく数の多いものを三つあげるとすれば、次のようになる。
(1) 本屋の数
(2) スタミナ・ドリンクを飲むサラリーマンと OL の数
(3) テレビのグルメ番組の数
最後の二つは日本人のストレス・レベルを象徴する、本質的にはネガティブな現象だが、(1) は違う。私は 70 カ国以上訪れたことがあるが、世界で日本ほどたくさんの本屋がある国は存在しない。もちろん、書籍流通制度が諸外国と異なる点も一因といえるが、それを割り引いたとしても、紀伊国屋書店のような巨大書店が林立する国はほとんど存在しない。本屋に入ると、どこも昼間からたくさんの客や立ち読み客でごったがえしている。ビジネス関連の本ももの凄い数だ。しかも、活字離れとはいえ、諸外国と比べると、売れている。こうした事実は何を物語っているのだろうか。
あまり知られていないが、平均的な欧米人はあまり本を読まない。本の値段も高いし、本屋の数も少ない。家庭生活重視だから、一人で書斎にこもるわけにもいかない。「漫画やヌード写真付きの週刊誌を電車の中で読む情けない国民」と、事情もよくわかっていない外国人に一点集中攻撃をかけられると、すぐにお決まりの自嘲癖が刺激され、一部メディアを中心に、こぞって自己否定一本槍になってしまう。国民も「そうなのか」と信じきって思考停止してしまうのが日本のようだ。
# 完璧主義の呪縛
だが、誇るべき側面はどれほど知らされているのだろうか。
先述の本屋の数に象徴されるように、「総論」レベルで、これほど知識欲を持った国民がいる国は世界には存在しない。日本人は、その凄さに気づいていない。日本においては「当たり前」であり、他と比較できないから見えないのである。
犯罪についても同じことがいえる。確かに、悲惨で不可解な犯罪は増えている。外国の犯罪組織も急速に日本で足場を固めている。しかし、たとえば、たくさんの自動販売機がいまだに街に放置されている意味には誰も気づいていないようだ。欧米では、ならず者たちに破壊されてしまうから、たくさんの自動販売機を無人で置くわけにはいかないのだ。
日本に駐在する欧米人と話すと、「妻が解放感に浸っている感じがする」とよく耳にする。アメリカ でもヨーロッパでも、ちょっと暗くなったら、ご婦人たちが町を歩くことは、まずありえないからだ。それが当たり前の生活になっていても、無意識のレベルで、窮屈さやストレスを感じて生きているのだろう。それが日本に来ると、夕方どころか、深夜でさえ人が歩いている。解放感に浸るのも、なんだかわかる気がする。
また、「殺人的」通勤ラッシュなどと批判されるが、スケジュールの正確さに対する感謝の声はあまり聞かれない。正確で当たり前というが、世界ではそれは決して当たり前ではない。日本ほど時刻表の乱れが少ない国は世界にはないのだ。たとえば、イギリスでは(むろん、近年は改善されてきているようだが)よく途中の駅で運転手が降りて紅茶を取りにいく。その間列車は止まらざるを得ないのでスケジュールが乱れる。また、日本の列車はとても清潔だ。落書きも驚くほど少ない。椅子に靴のまま足をかける人も少ない。
もちろん、日本にはたくさん改善すべき点がある。しかし、人間でも同じだが長所を褒めたほうが伸びるのだ。一方的に欠点を批判され、人格否定され続けては、せっかくの潜在能力を発揮する機会を失なってしまう。追い討ちをかけるように、自虐メンタリティーを持ち出して、自分で自分をいじめ続けていては、せっかくの長所も曇ってしまうのではないだろうか。
大切なことは、完璧主義で考えないことだ。完璧な国も、完璧な人種も、そして完璧な人間もいないのだから。そう考えてみると、日本のよい面が見えてくる。自分のよい面が見えてくる。そこから、日本の、そして日本人の自己変革の第一歩は始まっていくのではないだろうか。異文化の寄木細工のような欧州に長く暮らしていると、ふとそんな思いにとらわれることがある。

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