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第 13 回 Michael Saffle 先生インタビュー


Smaller than some, bigger than most!

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Michael Saffle 先生インタビュー

インタビュー音声公開&クイズ

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インタビュー音声 聞き取り穴埋めクイズ

People don't change. When you come back, people haven't ( ) changed ( ) ( ) as much as you have. So when you come back, ( ) ( ), everything I said was "Oh, Japan this and Japan that." And people were ( ) ( ) ( ) telling, you don't want to hear anymore about Japan.

上の文章を完成させて解答を support@manabi.st まで送ってください。正解者先着 3 名さまに Michael 先生の無料レッスン 1 回をプレゼント! (締め切りは 3 月末日です。)

Michael「YELLO!」
大塚「Hi Michael! 元気?」
Michael「元気だよ。Masaは?」
大塚「もちろん元気ですよ! これ、いつもかける電話番号ではないよね。今どこにいるの?」
Michael「両親の家だよ。いつもは携帯にかけてもらっているのだが今回は長くなるということで実家にかけてもらったんだ。」
大塚「実家は近いの?」
Michael「車で 15 分くらいかな?」
大塚「そうですか。それにしても前に送ってもらったハロウィンの写真、面白かったね。あれ、ぜったいに現在 ニューヨーク・メッツにいるマイク・ピアッツァに扮していたと思ったんだけどね (笑)。」
Michael「あれは white trash (ゴミ白人) だよ (笑)。」
Michael Saffle 先生
大塚「White Trash ね (笑)。どちらに見えるかはこのインタビューの読者に判断してもらいましょう。Are you ready?」
Michael「Sure!」
大塚「それでは、はじめましょう。Michael が日本に興味を持ったきっかけは?」
Michael「実は祖父が第 2 次世界大戦終了後の駐留米国軍の一員で 1953 年から 1957 年まで仙台に赴任していました。」
大塚「そうなんですか。」
Michael「祖母と母も一緒だったのですが祖母が日本が大好きでね。日本のいい話を沢山聞きました。」
大塚「お母さんは?」
Michael「うちの母はあまりいい思い出がないみたいです。10 歳くらいだったと思うのですが髪が赤かった為、周りの日本人の子供に珍しがられ、追っかけられたり、髪を引っ張られたりしたみたいで。。。」
大塚「やっぱり。Michael も JET の一員として来日した時、そうされたでしょ?」
Michael「YES! でも私は身長 190cm 以上あるのでそれほどでもなかったよ。」
大塚「190 以上とはすごい! それで?」
Michael「あとは 80 年代後半ぐらいから日本のアニメがちょうどこっちで人気が出てきていてテレビで Voltron Force (邦題:百獣王ゴライオン) や RoboTech (邦題:マクロス) などを熱中して見ていました。その頃からいつかは日本に行きたいと思うようになりました。」
大塚「大学時代までに海外にいったことは?」
Michael「Nope!」
大塚「日本語は勉強していたの?」
Michael「Nope!」
大塚「それじゃ、ずっと Domestic だったんだね。」
Michael Saffle 先生
Michael「そう! パスポートすら持っていなかったんだ。超 Domestic でした。」
大塚「大学は何を専攻したのですか?」
Michael「American Studies です。」
大塚「どうして American Studies だったのですか?」
Michael「正直言って何をやりたいかわからなかったので American Studies を選んだのですよ。」
大塚「University of Maryland ってかなり入るの難しいんでしょ?」
Michael「学科によってはね。American Studies はそうでもないよ!」
大塚「そうですか。そこで日本に再び興味を持ったの?」
Michael「いえいえ、大学時代は映画の流通会社でアルバイトしていまして、その時は映画制作の道に行こうと考えていました。ただ、勉強も面白くなってきたというのともう少し何をしたいか考えたかったのでそのままMasters (修士課程) に進みました。」
大塚「そこだ! 日本とかかわりを持ったは。。。」
Michael「そう! 当時アルバイトで大学の International Office で働いていたのですが、青山学院大学から 20 人の学生が夏季プログラムを受講しにこちらに来ましてね。そのホームステイ先の手配など世話係りをやらされたのですが 2 人だけホームステイ先が決まらなくてね。結局うちにホームステイすることになったのですがそこでその 2 人と非常に仲良くなりましてね。」
大塚「そうだったんですか。」
Michael「日本人の Stereotype は『仕事中毒で人生をあまり楽しんでいない』というもので。。。今だから言えますが私もそう思っていました。しかし、とんでもない! 本当に Friendly で楽しい連中でした。以前から日本に対する憧れに火がついた形で日本に行こうと思いましてね。」
大塚「JET についてはどうやって知ったのですか?」
Michael「International Office で働いている人の奥さんが日本人でね。その人が『こういうのあるよ』と勧めてくれたんですよ。」
大塚「それで JET に?」
Michael「それがぜんぜん知らなかったんですよ。だからそれ程準備もせず ワシントン DC にあります日本大使館に行きました。」
大塚「面接はどうでした?」
Michael「それが部屋の真ん中に椅子がポツンとおいてありまして、前に面接官が 3 人 (アメリカ人 2 人、日本人 1 人)。何だか警察から取調べを受けているようでした (笑)。特に真ん中にいた日本人が超がつくほどの真面目な人で『この人を笑わさなければ受からない』と思い、いろいろな面白いことを言ったのだが笑うのは両側にいたアメリカ人ばかりで。。。これいってもいいのかな?」
大塚「なになに?」
Michael「実は事前に課題図書を渡されていまして、そこに日本での生活の注意事項がいろいろ書いてあったらしいんだ。」
大塚「らしいというと?」
Michael「実はちょっとしか読んでいなかったんだが、どうやらそこに女性の場合『スリーサイズは?』とかいろいろと Personal な Question を生徒から聞かれる場合があり、その対処方法が書いてあったんだ。そこで面接官が "If your students ask how BIG you are, what are you going to answer?" って聞かれたんだ。」
大塚「BIG ってもしかして。。。」
Michael「そう (笑)! その BIG です。」
大塚「外務省がそんなことを面接で聞くんですか (笑)? それはすごい! それでどうしたの?」
Michael「いや〜。本をちゃんと読んでいなかったというのと私は身長 190cm で体重が 130kg でしょ。文字通りまともに受けてしまい、何でこんなことを聞くのかと思いながら "Smaller than some, bigger than most!" って答えてね。もう両側にアメリカ人は椅子から転がり落ちるほど涙を流しながら笑っていたのですが。。。」
大塚「日本人面接官は笑わなかったんだね!」
Michael Saffle 先生
Michael「Yes! もうダメかと思って。。。最後に『日本で何をやりたい?』と聞かれ、『剣道』と言いたかったんだけど言葉が出てこないでね。目の前の紙をまるめて素振りの真似をしたら、その日本人面接官はものすごく喜んでくれて。。。これで『受かった』と確信し、スキップしながら大使館を出たのを今でも覚えています (笑)。」
大塚「しかし、人の笑いのツボって分かりませんね!」
Michael「本当にそうです!」
大塚「さて、話を日本に移しましょう。一番初め日本に着いた時の印象は?」
Michael「実はそれどころではなかったんだ。アメリカ 出発の前の日に送別会を朝までやっていてね。飛行機でも寝れずもうふらふらでした。ベル・ボーイにチップを渡さなければと思ったのですが、金額を考えるのも嫌で五千円札を差し出してしまったりして。。。受け取ってくれなかったけど欲しそうな顔をしていたな〜 (笑)。」
大塚「それはそれは、大変でしたね。」
Michael「面白かったのがその夜うちにホームステイした青山学院の 2 人がホテルまで迎えに来てくれてご飯を食べに行ったのですが、ちょうど 2 千円札が出た日で、『これ新しい札だよ!』と見せてくれたのですが私には日本の紙幣が全て新しく見えたことかな (笑)。」
大塚「そうですよね! それは分かります (笑)。新宿の印象は?」
Michael「とにかく街が明るかった! あんなに夜ネオンがすごい街なんて世界中どこ探してもないよ。あれは本当にびっくりしました。」
大塚「Michael は福島県に配属されましたよね。」
Michael「そう。3 日間の研修後にバスに乗っていったのですが、きらびやかな新宿と山に囲まれラジオ電波も入らない福島県の田島町。このギャップに驚きましたね (笑)。でも自然が美しく、すばらしい町でした。」
大塚「すぐに日本社会に溶け込めました?」
Michael「とんでもない。大変だったよ。何しろ初日、ヨークベニマルという近くのスーパーにいったのですが字が全く読めないので肉も何の肉か全く分からない。しょうがないから毎日カップラーメンを食べていました。今でもカップラーメンを見ると気持ち悪くなります (笑)。」
大塚「住まいはどうだった?」
Michael「住んでいたアパート自体は良かったのですが、日本のエアコンって各部屋についているでしょ? アメリカ は 1 部屋だけ暖房を入れるというのが出来ず、一箇所から全部屋に冷暖房が流れるという仕組みになって、面白い話、部屋の暖房が冷房にもなることに初めの一年気付かなかったんですよ。教えてもらったときは怒り狂いましてね (笑)。」
大塚「それはそうでしょう (笑)。福島だったら寒かったでしょ?」
Michael「それはそれは。。。何しろ夜寝る前に暖房を切るでしょ。数分後には吐く息が白い。こんな状況の中で今まで寝たことがなかった。朝起きるとトイレの便器の水が凍っているんですよ! びっくりしましたね。」
大塚「すごい雪だったでしょ?」
Michaelワシントン DC に住んでいた頃、1 メートル雪が積もったら学校は休みですよ。そこで 1 メートル積もった時、中学校に電話をし、『今日はもちろん学校は休みですよね?』と聞いたら笑われてしまいましてね。ここは 3 メートルは積もらないと休みにならないと。。。」
大塚「やっぱり北国は違いますね。東京だったら 1 メートルで休みになるどころか都市が完全に麻痺してしまいますけどね (笑)。福島県では暖かく迎えられた?」
Michael「もちろん! 何しろ車もない、友達もいない。町に溶け込もうと一生懸命やりました。JET は当時の私の人生の全てでした。契約では午後 4 時から 4 時半には帰っていいということになっていたのですが私は部活動まで残り、午後 6 時過ぎまで学校に残りました。」
大塚「それは学校も喜んだでしょう?」
Michael「やはりアメリカ人の Stereotype は不真面目で態度がでかいというのでしょ。みんなびっくりしましてね。私はさらに気をよくして夜も英会話教室などをボランティアで開催したりして、町では大山先生と呼ばれて、人気者でした (笑)。」
大塚「何? その大山先生って?」
Michael「私は身長190cm、体重130kgあります。これだけ言えば分かりますよね (笑)。」
大塚「な〜るほど。Big Mountain ね (笑)。。。日本で何か思い出に残っていることなんかある?」
Michael「う〜ん。そうだね。教え始めて数ヵ月後かな。中学 2 年生の学生の母から夕食招待の手紙をもらいましてね。すごく気に入ってもらい、その後いろいろとよくしてもらいました。日本の母ですね。非常に優しく、独立心が旺盛で、厳しいこともバンバン言ってくれる。こんなありがたい存在はいませんでしたね。実はボランティアで大人に英会話を教えたいと思っても、当時文科省は許してくれなかったんですよ。それを彼女が掛け合ってくれて、知り合いの病院の院長まで紹介してくれて、結局病院の部屋を提供してもらい夜の英会話教室を開けたという経緯があったんですよ。」
Michael Saffle 先生
大塚「Michael の明るい性格とサービス精神が彼女を動かしたんですね。今でも Contact を取っているのですか?」
Michael「それが。。。。実は彼女は私と会った頃から癌で。。。。今年の 1 月に亡くなりました。もうなんていったらいいのか。。。今年の夏に来日し、お墓参りにいこうと思っています。」
大塚「そうでしたか。それは本当に悲しいですね。。。でもマイケルは日本に来るんですね。日本に来たら連絡をくださいね。接待します。」
Michael「OK!」
大塚「夜の英会話教室以外は何をやっていたの?」
Michael「そうだね。町民会館などで英語を教えたり、福島万博の手伝いをしたり、あとプライベートでは週数回、近くのカラオケバーに行っていましたね。マイ・JINRO を置いてましてね。青りんごの JINRO 割、最高です (笑)!」
大塚「Michaelは日本の曲歌えるの?」
Michael「もちろん! 当時『孫』という演歌が流行っていてそれを歌ったらみんな大笑い。次の日には町のほぼ全員私が『孫』を歌ったことを知っていました (笑)。」
大塚「それはすごい! 東京に来たときは歌ってね。」
Michael「OK!」
大塚「マイケルは 2 年で アメリカ に帰りましたね。どうして契約をあと 1 年延長しなかったんですか?」
Michael「今振り返れば、いればよかったと思っているのですが。。。こういうの英語で Hindsight is 20/20" っていうですが (20/20 は両目の視力が 2.0 であるということ)、とにかく福島は寒かった (笑)。もっと大きな町に住みたいと思い始めたことと。。。あと、9.11 (アメリカ 同時多発テロ) の事件があったでしょ? 本国が大変なときに アメリカ にいなかったということがアメリカ国民として非常に恥ずかしく思いましてね。それで決断しました。」
大塚「そうだったのですか。実は私はあの時、アメリカ にいたんですよ。」
Michael「そうだったね。」
大塚「本当に悲しい出来事で私もショックが大きかったのですが、その後の Nationalism は私にとって Too much で大学院卒業後日本に帰ろうと決心しました。」
Michael「同じ事件でお互い本国に帰る決心をしたとはやはりあの事件は多くの人にとって影響を与えたのですね。」
大塚「そう思います。アメリカ に帰って逆カルチャーショックなんてなかったの?」
Michael「あったあった。私の話すことときたら日本の話題ばかり。皆に『また日本の話かよ?』って白い目で見られましてね。」
大塚「それは大変だ。」
Michael「もう浦島太郎状態でした。」
大塚「戻ったのは 2002 年でしたね。アメリカ に帰ってどういう仕事に就こうと思っていたの?」
Michael「日本企業の現地法人に働こうと思っていたのですが。。。アメリカ は大不況でなかなかそういう先が見つからなかったんだ。」
大塚「今は何をしているの?」
Michael「今は メリーランド州 にある韓国人向け塾の講師をしています。週 6 日、1 日数時間英語を教えています。主に高校受験向けですね。」
大塚「え〜、受験英語?」
Michael「受験というよりは基礎的な英語かな? Masa もこちらに住んでいて経験があると思うのだが韓国人の大部分は家で韓国語を話しているのと韓国人自体が結構固まってしまう為結構英語が弱いんだ。」
大塚「なるほど。」
Michael「まあ、いつもでもこの仕事は続けようとは思っていなく、現在 アメリカ 企業と日本企業の橋渡しになるような仕事を探しているんだ。」
大塚「見つかるといいですね。」
Michael「でも今思うと日本にそのままいればよかったとちょっと後悔しています。」
大塚「おっとっと。Michael と話していると時間が過ぎるのが早いですね。もう 2 時間弱になってしまいました。そろそろ締めなければ。。。Michael は今まで MANABI.st で 300 レッスン以上を行っていますよね。日本人の英語について特に感じることは?」
Michael「自信がないだけですね。私が話したほぼ全員、会話力は備わっているのに何故か自信がない。 100% 話せないとダメだと考えている人が多いですね。こちらでは 20%、30% しか話せない人も堂々と話しているんですよ。もっと自信を持って欲しいですね!」
大塚「そんな中、Michaelの提供するレッスンの中で特にお勧めのコースは?」
Michael「まずは "General Conversation" というコースで事前にトピックを決めそれについて話す。また "Bite the Bullet Idiom Course" というのがありましてこれは毎回会話で特に使うイディアムを 10 個ずつ学んでいきます。あと Let's talk about the News というコースですね。この間ある生徒と牛丼のニュースについて話したんだ。これらを混ぜ合わせることにより英会話力をうんと伸ばすことが出来ると思いますよ!」
大塚「ありがとうございます。最後に生徒の皆様にメッセージをお願いします。」
Michael「You're level is probably better than you think it is. Please be confident and let's have fun!」
大塚「長い時間、ありがとうございました。」

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