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第 19 回 Yih Lin James Tsai 先生インタビュー


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Yih Lin James Tsai 先生インタビュー

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インタビュー音声 聞き取り穴埋めクイズ

There is a dialer that will automatically dial your ( ) and then it will automatically ( ) that like once you pick up, it will automatically, the computer will automatically ( ) you to a ( ) person, and then you go ( ) and say, "Hey you ( ) us some money."

上の文章を完成させて解答を support@manabi.st まで送ってください。正解者先着 3 名さまに Jimmy 先生の無料レッスン 1 回をプレゼント! (締め切りは 10 月 10 日です。)

Jimmy「Hello?」
大塚「Jimmy, 元気? 久しぶりだね。」
Jimmy「元気だよ! 」
大塚「週末はゆっくりと出来た?」
Jimmy「うん、友達と遊びに行ったりしてすっかりと Relax しました。」
大塚「それは良かったね! 今回は急にインタビューをお願いして申し訳ない。」
Jimmy「いえいえいとんでもない。選んでくれてうれしいです! インタビュー、楽しみにしています。」
大塚「ありがとうございます。それでははじめましょう。Jimmy は台湾出身ですよね?」
Jimmy「いやいや。私は生まれも育ちもアメリカです。ちょうど私が生まれる 1 年前に両親が台湾からアメリカに来たんですよ。」
大塚「そうでしたか。テキサス州 で生まれ育ったの?」
Jimmy「いえいえ。コネチカット州 で生まれ、その後に オハイオ州 に移り、そして 5 歳の時にテキサス州 に引越して来ました。」
大塚「1970 年代の テキサス だったら今ほどアジア人がいなかったんじゃない? 」
Jimmy「うん。白人とヒスパニック系アメリカ人がマジョリティーでアジア人は少なかったなー。」
大塚「『忍者とかカンフーやってよ!』なんてからかわれなかった (笑)?」
Jimmy「あったあった (笑)。『ブルースリーをやって!』などよく言われましたよ。」
大塚「やっぱり (笑)! マイノリティーのアジア人としてアメリカで、しかも保守的な テキサスで生まれ育つってどんな感じだった? 」
Jimmy「とにかく一生懸命勉強しました。スポーツが苦手だったので勉強でアピールする以外、自分のアイデンティティーを見出せないと思ってね。」
大塚テキサス州 の最難関大学であるテキサス大学のオースティン校に入れたくらいだから相当勉強したんだろうね!」
Yih Lin James Tsai 先生
Jimmy「うん。頑張ったよ (笑)!」
大塚「そっか。子供の頃は将来何になりたかったの?」
Jimmy「医者。父も祖父も医者でね。私の祖父、戦時中にずっと日本に住んでいたんですよ。」
大塚「えー? そうだったの!?」
Jimmy「そう! 当時台湾は日本の占領下にあって、医者だった祖父は日本海軍の専属医として日本に連れてこられたんだ。」
大塚「そうだったんだ。ちゃんと扱われていたんだといいけど。。。」
Jimmy「もちろん! 医者だったからね。一般の台湾人は見下されていたみたいだけど医者である祖父はきちんと Respect されていたみたいだよ。」
大塚「それは良かった。」
Jimmy「当時、天皇から感謝の印としてメダルと、毎年 150 円支給するという証書を渡されたみたいです。」
大塚「すごい! 当時の 150 円といえばすごい金額じゃない?」
Jimmy「うん! そうだと思うよ。」
大塚「メダルとか今でも持っているの? 」
Jimmy「それが、やっぱり戦後教育の影響かな。叔父が大変な反日的な人で『こんなのいらない!』とメダルを投げつけたら欠けてしまってね。。。」
大塚「そっか。。。」
Jimmy「でもね。戦後の日本と中国両方の統治を知る祖父の世代は日本の方が良かったという人が多いんですよ。何だか不思議だね。」
大塚「そうだね。おじいさんはその後どうしたの?」
Jimmy「戦後台湾に戻って開業医として、低所得者、特に貧乏な人に対し無料で診断してあげたりしていたみたいで、地元の英雄だったみたいです。祖父は私が生まれる前に亡くなりましたが彼は今でも私のヒーローです。」
大塚「いい話ですね。だから Jimmy も医者を目指したわけだね。」
Jimmy「そう! 大学入学後すぐにやめてしまいましたけどね。」
大塚「どうして? 」
Jimmy「18 歳の時、初めて台湾に行きましてね。その時、アメリカの歴史教育ではほとんど出てこない台湾の歴史について教えられてね。母方の祖父が日本語の新聞を読んでいたんですよ。何しろ祖父の世代は全員日本語の読み書きが出来るというのを聞き、本当に驚きましてね。アジア史に急に興味を持ってしまい、帰国後専攻をアジア学に変えてしまったんだ (笑)!」
大塚「それはそれは。。。そんな Impact があったのですか? 」
Jimmy「そう! 特に日本に行ってみたいと強く思いました。」
大塚「そうだったんだ。」
Jimmy「大学 4 年生の時かな。東京に 3 週間のホームステイに行きました。」
Yih Lin James Tsai 先生
大塚「日本はどうだった?」
Jimmy「日本及び日本人の大ファンになりました! 特にホームステイ先のホストファミリーには本当に良くしてもらってね。広島にも連れて行ってもらって原爆博物館も見に行ったのが非常に印象的でした。」
大塚「原爆博物館は全世界の人に見てもらいたい。アメリカ人の友人が遊びに来る時は有無も言わさず連れて行きます。歴史教育というのはどの国もバイアスがかかっているじゃない? それはしょうがないと思うけど、やっぱり他の国の立場を理解した上で話すと説得力が違いますしね。」
Jimmy「I totally agree だね。アメリカはアメリカの言い分があるし、日本もしかり。中国人は今でもすごく反日的じゃない?」
大塚「特に我々の世代はね。」
Jimmy「そう! でもいつもそういう中国人に聞くんだ。『日本人の知り合いはいるか』と。ほとんどの人は『いない』と言いますね。そこでいつも言ってやるんだ。『日本人に会ってじっくりと話してごらん。きっと好きになるから。』と。」
大塚「それは感謝しなければならないね。そういってもらえると本当にうれしいです。私の経験ではいくら悲しい過去があっても個人レベルではたいていは信頼も築けるし、うまくいくんだけど、対国家となると難しくなるんだよね。」
Jimmy「そう! その通り!!」
大塚「今回のイラクの件でも私の知り合いのアメリカ人の中には『サダムというひどい独裁者を失脚させたんだからイラク人はもっと感謝するべきだ!』と思っている人が多いんだ。でもその過程で 11,000 人以上の民間人が死んでいたら感謝するわけないし、今後数世代に渡り反米心もなかなか収まらないと思うよ。」
Jimmy「特にあの刑務所での屈辱なんて数世代どころじゃないような気がしますね。」
大塚「そうだね。例えば刑務所関係のニュースってもう報道されないでしょ。」
Jimmy「うん。」
大塚「ニュースにあがってこなくなるともうそれは過去の出来事だと錯覚をするんだよね。相手は絶対に忘れないけどね。」
Jimmy「本当に難しいね。やっぱり戦争自体が人を狂わせるんだよね。原爆ドームなどを見て特にそう感じました。」
大塚「そうだね。暗い話はその位にして、大学を卒業して JET に応募したんだよね。」
Jimmy「そう。運良く受かりました!」
大塚「配属先はどこが希望だったの?」
Jimmy「東京! ホストファミリーのそばで住みたかったしね。」
大塚「それで埼玉の浦和市に配属されたんだね。浦和はどうだった?」
Jimmy「素晴らしい所でした。配属された学校もどこもいい先生、生徒に恵まれ、3 年間満喫しました。日本語もかなりうまくなりましたしね。」
大塚「日本で何か特別な思い出なんてある?」
Jimmy「うーん。突然聞かれてもね。。。そうだね。ちょうど JET としての最後の年に受持ったある学生が私の帰国後どうしてもアメリカに遊びに来たいといってね。いろいろと Texas を連れ回したんだけど周りは大人ばかりだったんで本当に楽しんでくれたか不安でね。でも帰国後に『本当に楽しかった、Jimmy のお陰で将来はアメリカの大学に留学したい』という手紙をもらってね。昨年連絡があり、何とアラバマ大学に決まったといってね。誰かの人生にいい意味で大きな影響を与えることが出来たと知り、本当にうれしかった。もっともっとやってあげたいという気になる!」
Yih Lin James Tsai 先生
大塚「素晴らしい話ですね! きっと Jimmy に影響を受けた日本人学生は多いと思いますよ!」
Jimmy「ありがとう。」
大塚「JET を任期一杯 (3 年間) 勤め、そのまま日本で就職しようとは思わなかったの?」
Jimmy「そうしたかったんだけどね。やっぱり両親が帰って来いと。。。残念ながら帰国しました。」
大塚「それで?」
Jimmy「ちゃんと就職しなければならないと思い、当時流行していたコンピューターの世界に入ったんだ。」
大塚「え? 教員とか大学院に進むとか考えなかったの?」
Jimmy「そうしたかったんだけど、やっぱり現実問題として稼がないといけないからね。2 年間コンピューターの学校に通い、今ではコンピューター会社に勤めています。」
大塚「そうなんだ。今の仕事について教えてください。」
Jimmy「Lonestar Turn key という会社で個人ローンの債権回収をサポートするシステムを作っているんだ。例えばクレジットカードの延滞客に対し、オペレーターが一人一人に電話をすると大部分がつながらない為、企業として人件費が余計にかかってしまうでしょ。うちはそういう延滞客に対する電話を全て自動で行い、電話がかかった瞬間にオペレーターにつながるシステムを開発・販売しているんだけど、私はそのシステムを導入した企業のメンテナンスをしているんだ。」
大塚「それ、日本でも売れると思うよ! 私も銀行員を昔やっていたんだけど債権回収は大変でね。延滞先は電話がまずつながらないからね。カード会社も回収が KEY だしね。」
Jimmy「それ、いいこと聞いた! ヨーロッパは結構お客さんがいるんだけど日本はまだなんだ。」
大塚「頑張ってね! この先、何をしようと思っているの?」
Jimmy「最近国際関連の仕事をしたいという気持ちが強くなってきてね。コンピューターの仕事もそろそろやめて、連邦政府で国際政治問題などのリサーチをやりたいと思っているんですよ。北朝鮮との交渉戦略などを練るとかね。」
大塚「何だか Jimmy にはそっちの方が合っていると思うよ。」
Jimmy「ありがとう。」
大塚「Jimmy の MANABI.st でのレッスンについて教えてください。」
Jimmy「もちろんコンピューター関連の会社に勤めている生徒の方とネットワークやソフト等の専門英語を教えたりもしていますが、一般会話では Intonation について教えるのに力を入れています。日本人の多くは発音を気にしますが、実は Intonation の方がもっと大切なんですよ。例えば "I want to go to Japan" という時、本来ならば "want" と "go" を強調して言うべきなんだけど結構、これ言えていない人が多いんですよね。Intonation によって伝わり方が全然変わってきますので、皆様にはもっともっと Intonation の重要さを分かって欲しいですね! 私の Intensive Pronunciation Course でいつでもお教えしますよ!」
大塚「ありがとうございます。最後にこれを読んでいる皆様にメッセージをお願いします。」
Jimmy「新しい語学を学ぶというのは大変かと思いますが、頑張って夢を実現してください。コツコツ学んでいけばきっと目標を達成できますよ! 一緒に頑張りましょうね!!」
大塚「長い間、ありがとうございました。」
Yih Lin James Tsai 先生

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