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第 41 回 BJ Hill 先生インタビュー


アメリカ人の国際化教育が使命!

 
BJ「Hello?」
大塚「BJ、元気?」
BJ「元気ですよ。今日は Memorial Day で休日なんだ。実家でゆっくりとしています。」
大塚「そっか。祝日なのに電話して悪かったね。」
BJ「No problem です!」
大塚「そういえば BJ は Boston に住んでいるんだよね。Dice-K (松坂大輔投手) の人気はどう?」
BJ「めちゃくちゃ人気があるよ! それより Boston Red Sox は、現在絶好調。その為、全然球場の切符が取れないんですよ。最近 Red Sox ファンは敵地にいって応援しているようです。昨日の試合なんか テキサス でやったにもかかわらず、テレビで見ているとホームベースの後ろは Red Sox ファンで埋まっていたのを見て大笑いしてしまいました。」
大塚「もう地区優勝決まりだね!」
BJ「いえいえ。このチーム、7 月以降がとにかく弱い。どうなることやら (笑)。。。。」
大塚「期待しましょう! それではインタビューを始めましょう。」
BJ「OK! 何でも聞いてよ。」
大塚「BJ は ボストン 郊外で生まれ育ち、その後メキシコ、日本、中国、アフガニスタン等で英語を教えますが、そもそもどうして国外に興味を持ったのですか? そもそもアメリカ人の 7 割以上はパスポートを持っていないといいますよね?」
BJ Hill 先生
BJ「母の影響ですね。母はデスクワークを毎日 9 時から 5 時までこなし、テレビは見ず、国外旅行にはいったこともない、これといった趣味のない非常にまじめな女性でした。だからそういう母をみて『世界中を見てみたい!』という思いが日に日に強くなっていきました。」
大塚「はじめての海外旅行は?」
BJ「高校 3 年生の夏に課外授業でパリにいきました。」
大塚「パリはどうでした?」
BJ「とにかく大きな街で大変刺激を受けました。女性はきれいだし、歴史巡りなども本当に楽しかった。ボストン 郊外の田舎で育った私にはなにもかも新鮮に見えました。」
大塚「その後、大学に行き、在学中にメキシコにいきましたよね。」
BJ「そう! 1 年留学が出来、単位も取れるということだったので迷わず応募しました。メキシコ留学中に生活費を稼ごうとはじめたのがあるオムツ工場での英会話レッスン。これが結構好評で、教える喜びというのを感じました。」
大塚「なるほど。大学を 2000 年に卒業して日本へと旅立つ 2002 年までは何をしていたの?」
BJ「とにかく就職だけはしたくなかった。もっともっと国内外問わず、旅をしたかった。Boston にある大学の IT 部署で働いたり、Americops という低所得者向けのボランティア活動を約 1 年間行ったり、子ども向けのキャンプのお手伝い等していました。」
大塚「本当にアメリカ人のボランティア熱にはいつも頭が下がります。日本人ももっと見習わなければダメですね。2002 年からついに JET (Japan Exchange Teaching) の一員として来日しますね。そもそもどうして日本に来ようと思ったの?」
BJ「私の大学時代の友人がちょうど JET のメンバーとして福島県に赴任して 3 年目を迎えていまして、JET の契約は 3 年が MAX だったので、次の年には帰らなければならない。彼女、当時自分が受け持っていた生徒達を本当にかわいがっていたらしく、後任に変な JET が来ないか心配していました。そこで『BJ、私の後任として福島に来てよ! 日本は素晴らしいよ。絶対に後悔はしないから!』と強烈なラブコールをもらったため、JET プログラムに応募したんですよ。」
大塚「あれ? JET の配属先希望は通らないって聞いていますよ (笑)。」
BJ「そう! でもね。なんと福島県に配属されたんですよ。」
大塚「面白いね (笑)。まあ、福島を希望で出していたのは BJ 一人だけだったのでは?」
BJ「そうかもしれません。でもなんていうか。。。」
大塚「うん? 何かあったの?」
BJ「同じ福島でも違う町に配属になったんですよ。」
大塚「あらまー。。。」
BJ「そう。それで急に行きたくなくなってね。。。」
大塚「え〜?? そんなんで行きたくなくなるんだ (笑)。」
BJ「でもいって本当に良かった。正直、私の町 (郡山市) のほうが彼女のいた町 (浪江町) より数段都会で、良かったんですよ。」
大塚「何だか ボストンニューヨーク のライバル対決みたいだね (笑)。」
BJ「そう!」
大塚「はじめてのアジア。一番ショックを受けたことは?」
BJ「福島に入って一番最初の晩、居酒屋に連れて行かれて、カタツムリを食べさせられたんだ (笑)。」
大塚「えっ!? カタツムリ?」
BJ「そう。私はメキシコでバッタを食べたことがあり結構ゲテモノ系は大丈夫ですが、カタツムリはちょっと私の許容量を超えていました (笑)。」
大塚「ちょっと待って! 私はずっと日本に住んでいますが、カタツムリなんて食べたことはないよ。それ、カタツムリではなく、サザエじゃない?」
BJ「サザエ? それは聞いたことはありませんが、あれは間違いなくカタツムリでした (笑)!!」
大塚「あとでサザエの写真を送るよ。本当、カタツムリそっくりだから (笑)!」
BJ「OK!」
大塚「BJ が教えたのは小学校? 中学校?」
BJ「3 つの小学校を均等に回っていました。」
大塚「教えるのは Enjoy した?」
BJ「もちろん! 英語の授業だけ宿題はないし、間違えても怒られないので子供たちはのびのび楽しく、やっていました。」
大塚「それこそ本当の意味の学習だね! 特に思い出に残る授業なんかある?」
BJ「そうだね。今はやっているかどうかはわかりませんが、当時『クイズ・ミリオネア』というテレビ番組が流行っていてね。そこで授業で『クイズ・ミリオネア』と同じように机を円形に並べて」中心に向かい合う 2 つの机を置き、私が司会者役をして子供たちに絵のカードを見せて、『これを英語でなんていうか?』というクイズをやりました。もちろんそれぞれ、50/50、友人に聞く等のライフラインをつけてね。音楽も『クイズ・ミリオネア』と同じものを使ったんだ。」
BJ Hill 先生
大塚「それは盛り上がったでしょう?」
BJ「もちろん大盛り上がり! 『またやろう! またやろう!』と結構うるさかったです (笑)。」
大塚「BJ は 2 年で 米国 に帰りましたね。どうしてもう一年延長をしなかったの?」
BJ「『2 年は短すぎ、3 年は長すぎ』と JET の卒業生はよく言います。いい思い出を残しながら帰りたかったのと母がガンを宣告され、そばにいてあげたかったからです。」
大塚「お母さんは大丈夫なの?」
BJ「いえ、2005 年に亡くなりました。」
大塚「そうだったんですか。。。それはご愁傷様でした。。。」
BJ「ありがとう。でも 2004 年夏に帰って 1 年もそばにずっといましたので本当に良かったです。」
大塚米国 に帰ってからはどうしたの?」
BJ「すぐに職が見つからなかったのでボランティア活動などを主にしていました。ハリケーン・カトリーナのボランティア活動もしていたんですよ。」
大塚「あれは本当災難だったみたいだね。」
BJ「そう。町はもうめちゃくちゃ。今思い返しても心が痛みます。これが終わってちょっとした後、インディアナ 在住の娘と付き合うようになってね。」
大塚「おっ。急にロマンスだね (笑)。」
BJ「それで インディアナ州 に引っ越したんだ。」
大塚「それは羨ましい!」
BJ「でも。。。1 週間後に別れてしまいました。」
大塚「わっ! 残念!!」
BJ「そう (笑)。ちょうどそのタイミングで母を亡くし、相変わらず職が見つからなくてそれはそれは荒れてしまってね。そこで何を思ったのか、『人生に節目として マサチューセッツ州 を歩いて横断しよう!』と思い、500 キロ弱の道のりをバックパックにテントを積んで歩き始めたんですよ。」BJ Hill 先生
大塚「WOW! なんだか全然話についていけない (笑)。」
BJ「まあ、何でもいいから何か大きなことをやろうと思ったんだよね (笑)。」
大塚「なるほど。。。それで?」
BJ「ちょうどその頃 マサチューセッツ 知事選が行われていたんで、市民の声を新知事に届けようと思い、出会った人々に『知事に対する要望』という形でノートに書いてもらったんだ。」
大塚「すごい企画だね! で、何名くらいのメッセージが集まったの?」
BJ「300 人くらい」
大塚「すごい!! それで横断は成功したの?」
BJ「1 ヶ月かけて無事海にたどり着きました。あの時の達成感は今でも忘れません。」
BJ Hill 先生
大塚「その要望ノートは知事に届けたの?」
BJ「もちろん! それが結構話題になりまして、いろいろな新聞に知事と握手をしている写真が載りました。知事も大変感謝していました (笑)。」
大塚「WOW! それはニュース性がありそうだね。記事のコピーを送ってください。このインタビューのどこかに乗っけます。」
BJ「了解です (Boston Globeに掲載された記事はこちらでご覧いただけます)!」
大塚「BJ の今の仕事を教えてください。」
BJ「今は高校で補講を担当しています。日本にはそういう制度はないと思いますが、こちらでは授業についていけない子達向けに専属の家庭教師を学校で雇っているんですよ。ほぼ毎日一対一で遅れた分の勉強を見ています。」
大塚「すばらしいですね! BJ の 5 年後の目標は?」
BJ「歴史の先生になりたいですね。今まで、アメリカ ではアメリカ史しか歴史の時間に教えてきませんでしたが、最近の同時テロの影響などで世界史も必須になったんですよ。私はメキシコ、日本、中国、アフガニスタンといろいろなところに住んでいましたのでアメリカ人の国際化教育にきっと役に立てると思うんだ。」
大塚「BJ のようにアメリカ人の中で数少ない International Mind を持っている方が歴史を教えるのは素晴らしいことだと思います。是非頑張ってくださいね!」
BJ「ありがとう。」
大塚「最後にこれを読んでいる皆様にメッセージをお願いします。」
BJ「外国語を学ぶのは非常にチャレンジングであり、フラストレーションも溜まると思います。ただ、その中でどうやったら楽しく学ぶことができる常に考え、実践してください。私でよければいつでも手伝いますよ!」
大塚「長い間、ありがとうございました。」

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